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井上総司/ANTIFA

小泉悠『「帝国」ロシアの地政学』

現代ロシアがどのような秩序観をもとに、どのような軍事戦力を展開しているかを分析した著作。今回のウクライナ侵略が、どのような文脈において、何故発生したのかを理解するのに非常に役に立った。

そもそもロシアの主権観は、私たちが通常理解しているような各国の平等と内政不干渉というものではないという。主権を持つのは大国のみであり、その他の中小国は形式的な主権しか持たず、大国に介入されるのは仕方がない、というものである。そのような主権観を軸に、現代ロシアは、旧ソ連圏内の中小国をロシアの「勢力圏」と見做し、様々な形で影響力を行使している。そしてその「勢力圏」に対して、ロシア以外の勢力が影響力を拡大することは許容されてはならない。ロシアが「NATOの東方拡大」に強い警戒感を抱き強く批判するのは、まさにこのロシアの「勢力圏」という国際秩序観に基づくものだ。同時にそのように「勢力圏」の中小国の主権は軽視している一方で、「勢力圏」外においては、ロシアはウエストファリア型の主権国家体制秩序ー国境線こそが主権の及ぶ範囲であり、その外に主権を及ぼしてはならないーを支持してきた。つまりロシアの国際政治観にはダブルスタンダードが存在している。

更にこの「勢力圏」の観念は、「地政学(ロシアの範囲)をめぐる問題であると同時に、アイデンティティ(「ロシア」とは何なのか)の問題でもあった。」(p42)つまり、ロシアにとって、国境線は必ずしも絶対的なものではない。「ロシア的なもの」は必ずしもロシア国内のみに留まるものではなく、その国境線の外にまで広がっている。ロシアの秩序観、国家観とはそのようなものなのだ。

「ロシアの国家観においてイメージされる境界とは、浸透膜のようなものだ。内部の液体(主権)は一定の凝集性を持つが、目に見えない微細な穴から外に向かって染み出していく。仮に浸透膜内部の「主権」が着色されていれば、染み出していくそれは浸透膜に近いところほど色濃く、遠くなるほどに薄いというグラデーションを描くことになるだろう。」(p14)

このようなロシアの秩序観が、実際にどのようなロシアの対外戦略として展開されているか。グルジアバルト三国ウクライナ、シリア、北方領土、北極でのロシアの展開が分析される。特に現在関心が持たれるのはウクライナに関する分析であろう。ロシアの「勢力圏」という秩序観、

「このような観点からすれば、クリミアはたしかにウクライナ人だけのものではなく、ロシア人にとっても「共有財産」であろうし、「ロシアの一部であるところのウクライナ」をNATOに加盟させかねない暫定政権(註.ユーロマイダン後のウクライナ暫定政権)は、領土的一体性を損なおうとする勢力と言えなくもない。そしてロシアは、自らの勢力圏であるウクライナが西側によって侵食されるのを防ぐため、戦略的要地であるクリミアを急遽押さえた。これはロシアにとっても、「ロシアの一部であるところのウクライナ」にとってもNATOから身を守るための防衛的行動であるーこのように、(略)「ウクライナはロシアの一部」であるがゆえに、「ロシアにとってよいことはウクライナにとってもよいことだ」というロジックが貫かれている。」(p159)

そしてここから今回のウクライナ侵略を考えるならば、ロシアの行動は一貫して、ウクライナという国の主権と自立を認めず、どこまでも自らの「勢力圏」内として影響力を行使せんとする姿勢に貫かれていると言えるだろう。

私たちはこのようなロシアの秩序観をどのように評価するのか。このことを考えなければならない。現にロシア的な秩序観が現実の戦争として展開されている今、それを考える必要性はかつてなく高まっている。本書はそのような思考のために最も有意義な一冊である。

(「国際関係を大国間の「グレート・ゲーム」とみなすロシアの理解は、中小国の主体性を捨象してしまう危険性を孕んでいる。旧ソ連諸国や東欧社会主義国ソ連の支配権に組み込まれていた当時は、このような理解が一定の有効性を持ち得た可能性はあるが、ソ連が崩壊した現在においてさ(全く無効ではないにせよ)相当の留保を必要としよう。」(p80)

現在のウクライナ侵略を巡ってなされる左派の議論においても、ロシアの「グレート・ゲーム」的な秩序観を内面化し、その上でウクライナの主体的な決定を無視する傾向が見られる。カラー革命もユーロマイダンも、全て100%欧米の陰謀であり、故に正当性などなく、むしろロシアはそのような欧米の陰謀に対する自衛を行うのは当然である、というようなものがその典型であろう。果たしてロシアの秩序観ーかつてのソビエト帝国主義と同型にも見えるそれーを内面化して良いのか、正当化して良いのか。例え欧米の国際秩序に批判的であったとしても、そこを問うことを回避することは許されないだろう。欧米の敵であるからといって、ロシアが左派の味方であって良いのか。むしろ左派は、欧米でもロシアでもない、オルタナティブな国際秩序をこそ構想すべきではないか。)