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井上総司/ANTIFA

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安倍首相辞任に際して
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総志
2020/08/28 18:21 安倍晋三の辞任に際しての備忘録。まとまりには欠けるが、一つでも多くあるべきものだと思う。多くの人が、安倍が辞めたで「へーそうなんだー」で終わらず、少しでも主権者として何か言える社会こそが、健全な社会の条件だと思う。

 

 2020年7月28日、ついに安倍晋三が首相の座を下りる決定をした。( 安倍首相、辞任の意向固める - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200828/k00/00m/010/084000c )

 2012年12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙において、当時与党であった民主党を破り、再び安倍晋三を総裁とする自民党が政権与党に返り咲いた。安倍は2006年9月26日から2007年9月26日にも首相の座にあったが、その時も今回と同じく、体調の悪化を理由として辞任した。小泉政権以来、短期政権が連続して続いた中、第二次安倍政権は例外的に長期間にわたる政権となった。幾度かの総選挙と内閣改造を経て、2020年8月24日、歴代最長連続在任期間を更新した。28日の段階での在任日数は2803日となる。

 この長期間にわたる政権で、安倍晋三の第一の目標は憲法改正であったことは間違いないだろう。しかしそれは達成されることはなかった。政権発足当初から、まずは96条先行改正を成すべきだと主張していたが、これは多くの憲法学者、弁護士、そして何よりも世論の強い反対により断念された。更に2014年、2015年には集団的自衛権に関する解釈の変更、いわゆる「解釈改憲」を行い、それをもとにして2015年にはいわゆる安保法制が成立した。しかしここでも世論の半数程度は反発を抱いていた。またSEALDsを始めとした多くの抗議活動が連日国会前や官邸前で行われ、8月30日には国会前が、反対の意思表明をする市民により文字通り埋め尽くされた。

 確かに安保法制は成立したが、このように強く世論の反発を受けたことは、この後の憲法改正に関する安倍の主張をトーンダウンさせたように思われる。日本会議等の極右排外主義団体へのビデオメッセージ等々では強くそれを主張したとしても、例えば選挙等で憲法改正を主要な争点とすることはなかった。安倍本人は恐らくずっと憲法改正を悲願としていたのだろうが、結局市民の反発により、それは成し遂げられなかったと言って良いだろう。

 

 そのように憲法改正を悲願としつつ、安倍晋三は経済政策を主要な争点とし続けていた。いわゆるアベノミクスである。「三本の矢」や「新・三本の矢」など分かりやすいのか分かりにくのかよく分からないキャッチフレーズでもって、要は日本の経済が、バブル崩壊以降の不景気を脱するための政策、と概ね了解されていただろう。実際のところがどうなのか、これは僕には判断はつかない。経済に詳しくないという個人的な資質の問題でもあるが、同時に統計偽装が行われていたこと、また数字の上で経済成長があったとして、それが広く市民生活全般に行き渡っていたかという点においても疑問を感じざるを得ないからだ。

 一つ言えるのは、アベノミクスは確実に反緊縮政策であり、しかしにも関わらず、生活が楽になる程経済が良くなったとは感じられてはいないということ、そして反緊縮を掲げる反自民の市民は、このアベノミクスからこそ、教訓を吸い上げあるべき反緊縮政策を考えていかなければいけないということだろう。単に金をばら撒くだけでは生活自体が良くなることはない。分配の仕組みを考えるべきだということではないか。そしてそれは必ずしも反緊縮を第一とすることのない、むしろ福祉改革、社会保障改革とでも言うべき政策ではないか。何にしても、アベノミクスの評価はしっかりと行う必要がある。世論が評価した安倍政権の実績といえば、何よりもこのアベノミクスであり経済政策であったのは間違いないのだ。

 

 「外交の安倍」と言われていた。しかし僕は全くそのようには思わなかった。何故ならこと東アジア諸国との連携において、安倍政権になって後退することはあっても前進することはなかったからだ。東アジア共同体構想というものがあった。しかし安倍政権になってそのような多国間の協調を説く政治家は目立たなくなった。変わって目立つようになったのは、戦争責任を否定し、アジア太平洋戦争を礼賛し、東アジア諸国に勇ましく喧嘩を吹っ掛ける極右歴史修正主義者の群れだ。そのような連中を野放しにし、さらに自らのコアな支持層として尊重するなど、外交政策においてマイナスになってもプラスになることは決してないだろう。

 「外交の安倍」がやったこととは、東アジア諸国との間に深刻な不信の溝を作り上げたことである。そしてこの溝は日本社会にこそ着実に刻み込まれていると考えるべきであろう。韓国や北朝鮮、中国と言った近隣諸国に対する歴史修正主義や人種主義に基づく嫌悪感は、これから先も、安倍晋三が退陣した後も、日本の外交政策に暗い影を投げかけることは間違いない。無論それらの排外主義的な言説は第二次安倍政権以前にもあった。しかし第二次安倍政権以後、それらの発言は政治家によって繰り返し行われるようになり、この日本社会の公然たる主張としての位置を確立してしまった。多国間の協調に基づく外交ではなく、敵意と偏見に基づく国家間の対決を望む空気を作り出してしまった。「外交の安倍」などと言いながら、その実安倍政権下で行われたのは、外交という行為そのものを否定するような日本社会の排外主義化ではなかったか。

 


 第二次安倍政権下では多くの疑惑が取りざたされ、そのたびごとに証拠が無いとして多くのことがうやむやにされてきた。公文書管理としてどうなのかという話であり、また「責任を果たす」と言いつつ何もしない無責任さも問題である。森友学園加計学園、そして桜を見る会。これら三つのうち一つでも政権が吹っ飛ぶと言われ続けてきた。しかし政権はその後も続いた。ここから思うのは、日本の民主主義には、何か制度的な欠陥があるのではないかということだ。

 官邸支配という。しかしそのような支配が、法や正義すら振り払い、挙句国民に対する責任すら免責してしまっているように思える。もはや代議制民主主義ということもできないような、国民に対する侮辱と無責任がまかり通ってはいないか。必要なのは、このような不正と疑惑を免責してしまうような現在の日本の政治制度の再点検だ。どこに問題があり、それをどのように変えていくのか。何がここまで疑惑をうやむやにすることを可能にしたのか。嘘をついても責任を問われることなくのうのうとそのまま逃げ切ることを可能にしたのか。行政文書の改ざんなどと言う不正が何故行われ、またそれを可能にした根拠は何か、それをどうつぶすのか。制度の問題として、安倍政権を批判し点検することが急務である。そしてそれをするのは、第一義的にはメディアであり学者であろう。言論を仕事とする人間たちもまた、自分たちの属する組織なり環境なりを再点検しなければならない。何故このような不正と疑惑を見過ごしにしてしまったのか。そのことを真剣に考えるべきだ。

 


 問題は制度だけではなく、国民一人一人にもある。そう受け止めるべきだろう。結局のところ、選挙で安倍晋三を勝たせ続けたことにこそ、排外主義を社会に蔓延らせ、偽装を許容し、繰り返される不正や疑惑を放置することを可能にした最大の原因がある。安倍晋三を積極的に支持してきた人は、実はそんなに多くはない。何故支持しますかの問いには、常に「他にいないから」という答えが多数を占めた。また選挙のたびごとに分かるのは、最も多かったのは無投票だったことだ。安倍政権を支持したのは、硬いコア層と公明党支持母体であったと思われる。なんとなく傍観していた人が多数だったのだろう。しかしそれは有権者を全く無垢な存在と見做すことにはならない。確かに野党がだらしないと、言える場面もあるだろう。代案がないから仕方がないと、言って言えなくもないだろう。しかしそれらが批判の声を上げなくても良いこと意味するのか。不正義を批判しなくても良い言い訳になるのか。結局それらすべて、当事者になることからの逃避の言い訳ではなかったか。主権者であることを放棄し、尊厳を放棄し、権利を放棄し、倫理すら放棄し、そのすべてを外注し他人任せにしたのではなかったか。不正義は批判すればよい。代案など、当の不正義そのものを取り下げればそれで良い。野党がだらしないならばだらしがないと批判し支持するに値する候補を育てればよい。野党がだらしないから自動的に与党支持になるなど飛躍以外のなにものでもない。結局のところ、日本社会は敗戦からこの方、民主主義を全く実践できていなかったのではないか。口で言われる民主主義の主体は、常に自分ではない誰かではなかったか。

 


 安倍晋三が辞めた。この政権のレガシーがあるとすれば、何よりも上からの反動であった。ずっと安倍政権を批判しその支持者のネトウヨも批判し、醸される排外主義と人種主義の空気も批判してきた僕などは、祝賀会でも開くべきなのだろうか。そういう気分にはならないのが正直なところだ。安倍政権が遺す害悪は、これから先も続くだろう。その意味でまだまだやるべきことはあるわけだ。上からの反動が今後も続くかもしれない。改憲自民党の党是というならば、次の自民党の総理にしてもそれを言い続ける可能性が高い。また拉致問題なり領土問題に関しても、まだまだ排外主義と人種主義に基づくふざけた物言いが主流を占め続けるだろう。それは外交にも影響を与え、東アジアの時代と言われているにもかかわらず、東アジアから距離をとり続けることになるだろう。

 何にしても、安倍晋三が辞めたことは、安倍晋三によって主導された上からの反動の解体を意味することはない。これから先も、人権や民主主義を当たり前に尊重し実践する社会を目指すことには変わりはない。それは既に達成された目標などではなく、これから勝ち取らなければならないものだ。上からの反動という敵に抗いながら、実現されていくべき理念なのだ。

 

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