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井上総司/ANTIFA

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「命の選別」は政治ではない
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総志
2020/07/07 19:23 れいわ公認候補の大西つねきが7月3日、自身のYoutubeLiveにて「命の選別」こそ政治だという旨の発言をした。

 大西はその動画内にてこのように語っている。

 どこまで、その高齢者を長生きさせるのかっていうのを我々真剣に考える必要があると思いますよ。あのー、なんでかって言うと、そのー、ま、今その、介護の分野でも医療の分野でも、そのこれだけその人口の比率が、えー、おかしくなってる状況の中で、あのー、特に上のほうの世代があまりにも多くなってる状況で、その高齢者をちょっ、もうとにかく長生き、死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策をとってると、これ、多くの、これお金の話じゃなくて、あのー、勿論医療費とか介護料って、金はすごくかかるでしょうけど、これ、わ、こど、若者たちの時間の使い方の問題になってきます。どこまでその高齢者を、まちょっとでも長生きさせるために子供た、子供たちとか若者たちの時間を使うのかっていうことは、あの真剣に議論する必要があるとおもいます。まこういう話たぶん政治家怖くてできないと思いますよ。ま、「命の選別」すんのかとか言われるでしょ?命、選別しないとダメだと思いますよ。あのはっきり言いますけど。なんでかつーと、その選択が政治なんですよ。あのー、選択しないで、みんなに、こー、良いこと言っていっても、多分これ現実問題として、多分無理なんですよ。だからそういったことも含めて、あのー、順番として、これ順番として、えっとー、その選択するんであれば、えっとー、勿論、そのー・・・高齢の方から逝ってもらうしかないですよ。
 要するに、大西が認識する「政治」とは、「命の選別」であるということだろう。そしてその「選別」の結果、大西はまず高齢者に「逝ってもらうしかない」と主張する。

 しかし、「命の選別」は政治ではない、そして「命の選別」が政治であってはならない。

 いちいちそんなことも言わないとダメなのかとウンザリするが、しかし現にそれなりに知名度もあるれいわ新選組の公認候補が、また個人としてもそれなりに知名度のある「政治家」が、そんなバカげたことをドヤ顔で言うのだからガンガン「そんなわけあるか」と言わざるを得ない。

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 とりあえず日本国憲法を確認してみよう(太字強調筆者)

われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。(『日本国憲法』前文)
 いわゆる平和的生存権の話ではあるが、ここではむしろ「生存する権利」の方に重点を置くべきだろう。「全世界の国民」に「生存する権利」があるのであり、間違っても死んでよい人間がいるなどとは書いていない。ましてやそれが政治だなどとは書いていない

 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。(第十一条)
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。(第十三条
 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的経済的又は社会的関係において、差別されない。(第十四条1項)
 更に長谷部恭男による岩波文庫版『日本国憲法』の「解説」より。

十三条は、すべての国民が個人として尊重されること、生命・自由および幸福追求に対する国民の権利が、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とすると規定する。国政は公共の福祉、つまり社会全体の中長期的な利益の実現を目的とする。しかし、国政は同時に、何が自分にとっての幸福であるかを国民それぞれが個人として判断し、その判断に基づいて自分の人生を自由に生きることを前提とする。(『日本国憲法』「解説」p176 岩波書店
 つまり日本国憲法によるならば、「国政」は、各人の生存を前提とする個人的な幸福を自由に追求することを妨げてはならず、そのうえで社会全体の利益の実現を目的としている。しつこいが、間違っても誰かの死を前提に社会全体の利益を求めよ、などとは書かれていない。

 


 続いて大西が所属(?)するれいわ新選組の「決意(綱領)」。(https://reiwa-shinsengumi.com/determination/

 あなたを守るとは、 あなたが明日の生活を心配せず、人間の尊厳を失わず、胸を張って人生を歩めるよう全力を尽くす政治の上に成り立つ。
 私たちがお仕えするのは、この国に生きる全ての人々。
 当然、「人生を歩める」とは生存を意味する。そしてれいわ新選組は「この国に生きる全ての人々」に「お仕え」するのであり、やはり「選別」された一部の人々ではない。

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 大西つねきは日本国憲法の理念に反するとともに、れいわ新選組の理念に反するということが言いたい。僕個人はれいわ新選組に対して非常に批判的である。その上で大西が言っていることは、れいわの理念に反していると判断するほかない。ならば僕のような「アンチ」だけではなく、れいわを支持する人々こそ、キッチリ大西を批判すべきだろう。もしこれをスルーし容認するのであれば、れいわの語る理念は、全くの空語でしかないということになるだろう。

 またそもそも論として、「命の選別」が政治として許容されるはずがない。それは相模原事件のような殺人を、政治として、政策の可能性として許容し検討し「意見」として登録することに外ならない。麻生や杉田水脈とどう違うのか。そんなことが許されて良いわけがない。ふざけるな。

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 にも関わらず、このような大西に同調する意見もあった。それもあるからわざわざこうして大西の否定を書いている。非常に鬱陶しい。

 大西さんの言ってることのどこがナチスと一緒なんだ?余裕がなくなって、究極の選択が迫られたとき、どっちを選ぶしかないんだよ。
 個人的な「ポエム」と断じて良いだろう。お前のふにゃふにゃのロマンティックな実存的決断など知ったことではない。その論を突き詰めるならば、いざと言う時には人殺しは許容されるということになる。そんなわけがあるか。そんなこと許容してたら、それこそ社会は崩壊する。社会を舐めすぎである。

 はい?公約さえも否定していいのがれいわですよ?色んな意見があってこそ議論が深まります 本物の「多様性を認め合う政党」なんです
 こちらの方の理解によれば、れいわ新選組有権者との約束も平気で破る詐欺集団ということになる。それはもはや政党と言うより、単なるカルト集団だ。繰り返すが、そんなことはないと(まだ)僕は信じている。また後段の「多様性」云々は、人殺しの可能性を含めてる時点で無茶苦茶としか言えない。そうなると本当にカルト集団じみてくる。議論の深まりを求めるなら、せめて社会正義にかなった方向性の「深まり」を求めるべきだ。

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 大西つねきの「命の選別」発言は決して許されない。憲法の理念にもれいわ新選組の理念にも反する、明確な不正義である。れいわ新選組、およびそれを支持する人々こそ、まずもってこのような大西の不正義を厳しく批判し、否定するべきだ。同じ仲間だからと言って何をしても、何を言っても許されるというのは、私的な集まりであれば許されるが、仮にも二人の国会議員を有し、また今後も政党政治における活動を目指す集団が、そのように幼稚なふるまいをすることは決して許されてはならない。

 というか、いい加減相互に批判して、議論を深めるなり、自浄作用を発揮してくれ。当たり前のように差別主義者に居場所を与えるな。

 


※7/7 22:03 追記

 大西は当該の動画を非公開にしたらしい。が、謝罪等は無い。
 
 そしてこの間も「大西つねき関東事務局」を名乗る「れいわ新選組@東京4区・大田区🐾わくわく班」のアカウントが、大西擁護のために更に優生思想の流布に努めている。

【大西つねき】
悪意を持って、つねきの動画を批判して、きゃっきゃっしてる人達がおりますね
思考停止お疲れさまですつねきが何を思って、命の選別を、と言ったか
少なくても、批判する人達は選別される側なのかな、と個人的に思います。
【思想】
若者か高齢者
どちらの命を優先するの?
若者の時間は有限なの
お金投資したらいいか、って話じゃないの
コスト≠お金じゃない
コスト=その人の時間お金で人の時間を搾取してたら、今の政治と何も変わらない
だからどちらか選ぶなら、若者を優先したい!、って言ってるだけだよ、つねきは
【命の選択】
では、今、この瞬間、命の選択をされてる子供達がいることをご存知だろうか?
少なくても、命の選択をしない、など、土台無理な話である
自分か、他人か、どちらかしか生きられないとして、自分の命を簡単に捨てられる
それが、自己肯定を否定されてきた、今も死にたいと思っている子供達
 もう支離滅裂である。要するに、自分が楽しく生きるためなら負担になる奴は死んでも良い!という驚くべく幼稚なワガママと、冷酷非道の合わせ技ともいうべき「主張」をしているのだろう。政治の名に値しないのは言うまでもない。政治以前の問題である。
 「選別される側なのかな、と個人的に思います。」という発言からは、自分は選別される人間ではないと、どころか選別する側であるという選良意識が透けて見える。何様なのか。人様の生き死にを決定できるとなぜ思い込めるのか。
 「どちらか選ぶなら」とのことだが、そんな選択肢はどこにも無い。「どっちも」と答えれば良い。狭い主観的な思い込みに基づく愚劣極まる決断なぞ害悪でしかない。
 「命の選択をしない、など、土台無理な話である。」そんな極論に話を飛躍する意味が分からない。いま現在の状況は、高齢者か若者か、と言うほどに切羽詰まってるのか。そんなわけはない。介護労働等で疲弊した若い世代がいるならそれを救済すれば良い。その救済のためには介護される老人は死ねなどとは、飛躍しすぎて意味が分からない。
 「自己肯定を否定されてきた」生きるか死ぬかの話が唐突に個人的な承認欲求の話しに矮小化されている。逆に僕などは、こいつは人生舐めてんのか、飯も食えない電気も出ないガスも来てないような暮らしをしたことがないのか、と邪推する。
 「今も死にたいと思っている子供たち」そりゃ一定の年齢を重ねたら死ななきゃいけないと言われたら死にたくもなる。てめえでてめえの首絞めて何がしたいのか。

 根本的に他者との共存という視点が欠落している。ゼロサムゲーム的な発想でしか世の中を見れていない。そのくせ情緒的な一体感には甘えたがる。
 アホガキの戯言と一蹴すべきツイートなのだが、何しろこれが大西つねきの支持母体らしいというところが度し難い。こんなアホのためにいちいち心掻き乱されるのが嫌だ。

 
 この件に関しては、既に大石あきこ氏が非難し、対処を求めていくというツイートもしている。サクッと排除して二度とこんなことがないようにしてもらいたい。本当に身が保たんですわ。

7/7 23:05 追々記

 れいわ新選組からも公式に山本太郎氏の署名で見解が出た。が、例の如く対外的にケジメをつけるのではなく、内輪でなーなーに終わらせてしまっている。ハッキリとダメである。ダメ謝罪である。

 多くの人々の心の中にもあるであろう何かしらかの優生思想的考えに、
光が当たったことを今回はチャンスと捉え、
アジャストする責任が私たちにはあると考える。
 ここが特にダメである。何故ならここには、今回の大西の発言によって現に優生思想的な思想や言説が流布され、それを目にした様々な人々への加害の自覚がまるでない。失敗も成長の糧に!みたいなことを堂々と政党の代表が言っている。社会の中に存在しているという責任感がまるで感じられない。「社会は存在しない」のだろうか。どこまでも内輪ノリである。内輪の外側にいる人に対する責任感がまるで感じることが出来ない。

 責任というなら、社会に対して優生思想を流布するお墨付きを与えるバッジとして機能してしまった、その責任を果たすべきであろう。差別はまず否定されなければならない。包摂はその否定を経てからで十分だし、そもそもそれは政党がすべきことではなく、差別者が個人で勝手にやるべきことだ。そこまでお世話する義理が何故政党にあるのか全く理解できない。幼稚園か。
 大体政党の理念に反すると自分で言っているのだから、除名すべきであろう。それがアリになるなら、政党としての理念などれいわ新選組には存在せず、ひたすら情緒的な、外部からは理解し難くまた理解されるためのコミュニケーションも存在しない、非常に閉鎖的な情緒的承認共同体としてしか存在していないことを証しているということになる。そんなものは私的な趣味の集まりであったとしても、政党の名に値しない。
 

 非常に残念な帰結である、と言おうかと思ったがやめた。まあれいわ新選組なんてこんなもんよな、というのが正直なところだ。元々 伊藤 広剛 さんなどが繰り返し批判しているように、レイシズム・フレンドリー、ファシズム・フレンドリーな、極めて日本的な情緒的集団という理解しか僕は持っていない。情緒なんて、その集団の外部の人間には通じないものでもって集まった連中に、いくら理をもって説いたところでどうしようもない。せめて彼らが社会的に無となるような言論環境を整えていくのみだ。彼らには社会の片隅で死ぬまで傷を舐め合いながら内輪だけの優しさごっこをしていていただきたい。表に出てくんな気色悪い。
 以後追記はしない。流石にめんどくさい。大西の謝罪も出たようだが、謝るだけでケジメの行動が「これからは頑張る」なんだから本当に安倍自民と何一つ変わらない。優しさごっこなぞ自分の部屋でやってろ。
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